柚の周りの人シリーズ②

地震だ。
地震か?
確かに自分の脚だったり手だったりは揺れているけど、床やたくさんのパイプ椅子が動いた様子はない。
震え続ける手のひらを見返して、うつむいたまま目線で周りを探る。右のローファー、左のスニーカー、目の前のお尻とジーパン。
強張った首はそれ以上の情報を入れようとしない。

宝くじを買う段でガチガチに緊張する人がいないのと同じく、書類を出した時は送ってやったという満足感だけがあって。そこから5カ月経った今、私はオーディションを受ける会場にいる。
アイドルへのなりたさは、最初は中くらいのモチベーションだった。でも審査を通るにつれ、なれるところまで来ているという実感が私を調子に乗せ、会場まで運んできてしまった。
帰りたい、けれども目の前のニンジンのことを思うと帰れない、馬鹿だから。
左側で話す女の子たちが出身地トークで盛り上がっているのを、うっすら耳に入れながら、自分で考えてきたアピールを思い出そうとする。
「私は昔から……、好きで……、なってみたいと思って……」
モソモソした言葉は、板張りの溝に吸い込まれて消えていった。ちょっとだけ涙目になる。みんなが座っている中、一人立ち上がってダンスの練習……とはいかないし、おしゃべりができるほどのキャパシティもない。ダンスは毎日いいだけ練習したし、さすがに大丈夫だろう……。

無になろう無になろうと瞑想に励んでいると、急に女の子たちのラジオが止んで、
「ではこれから、第23回プラチナオーディションを始めます。順に呼びますので返事の後、こちらへ」
通る声に、電気が流れたように体が跳ねて、顔があがる。ショートカット・パンツスーツの女性がカーテンの陰を指さしていた。
「1番、相内誠さん……」
さっきまでは下向きで固まっていた体が、今度は背筋ピン、顔正面でまた強張ってしまう。
呼ばれた、1番と思しき女の子がカーテン陰に吸い込まれていくのを見てしまい、その中で起きるプレッシャーを勝手に想像する。
緊張が高まって、耳と鼓動が一緒になる。
進む時間が、どんどん私を責めてくるからどうしようもなくて。
心を決めて、深く吸って、吐き出す。
できるだけ全部吐き出して、暖房でふやけた空気を吸い込むと、ちょっとずつ肩が溶けてくる。
嵐とは違って、黙っているだけでは過ぎ去ってくれない状況が、私の名前を呼ぶ。
もう逃げられない。よし、行こう。

無限に広がる伏魔殿かと思われたカーテンの向こう側は意外と狭く、横長8畳くらいのスペースに長机が置いてあるだけだった。
座っているのは私でも知っているようなプロデューサーと、私でも知っているようなアイドル数名。と知らないおじさん数名。
「それじゃあまず自己紹介から」
おじさんに促される。口が勝手に動き出して、でも意識はそれを上から眺めている。人は緊張しながら、他のことを考えながらこんなにも話せるのか……。感心。
アピールを求められたのでダンスを披露する。体は少し固いけど、練習通りにできている。
その後一通りの質問があって、最後にプロデューサーが口を開く。
「あなたは、何になりたいですか?」
「アイドルです」
と即答する。
「どんな?」
どんな?
どんなアイドルになりたいんだろう。私は。

数秒のうちに頭がフル回転する。
なれるのならと、5カ月余りを緊張と共に過ごしてきたけれど、なった先のことなんてほとんど考えなかった。
サインや挨拶を考えては、楽しくなって部屋で一人にやついていた、でもその先の生き方、心、何になるのかはどうでもよかった。
なら、私はアイドルというステータスが欲しかったのか?
少し正解な気もするけど、本質はなんだろう。
本質を探ろうとする質問には本気で答えたい、応えたいところだけど……。
頭がスパーク、ショートして真っ白になる。無意識下の心はこれなんだと口が勝手に動き出す。
「あの、えーと、あの、楽しいアイドルになりたいです、楽しい……」
馬鹿馬鹿、高2の発言じゃないぞ!
静かになったオーディションスペース中を目線がさまよう。やらかしたのか……?

間があって、自省する。そこまで考えられていなかった者が来るべきところではなかったのだ。
「すみません、出直してきます」
そう言って深く頭を下げる。
カーテンの外に出ようと振り向いてすぐ、自分の甘さと、無念と、練習してきた時間と、色々な心が混じり合って目が潤んでくる。さらに歩を進めようとする、そこに、
「アタシは、」
もう背中を向けた長机から声がする。
「アタシは何になろう、何になりたいなんて思ってなかったよ。ただ、何かを見つけたい、その何かがあると思って来たんだ。アタシは楽しいアイドル、いいと思うよ」
優しくて、その優しさに堪えきれなくて、大きな声で感謝だけを伝え、スペースを出た。
唇を噛みながら、順番待ちのパイプ椅子を駆け抜け、親が待つ車へ走る。ぐちゃぐちゃな私の顔を見た親に迎えられ、さらにボロボロになってしまった。

「真面目だね、なんか忍ちゃんを思い出しちゃった」
「彼女なら、また戻ってくる気がします。一朝一夕でできるダンスではなかったので」
「うん、あの子と一緒にアイドルできたらいいなあ。待ってるよ」

柚の周りの人シリーズ①

夜に暖房が付けっぱなしになっていると、喉が乾燥してしまうので、親が寝る時間にはすべて消してしまう。
読書灯の下に世界史の教科書とノートを置いて、なかなか冷えの取れない体を、モコモコの毛布でくるんでいる。
もう2月だ、3年になってから勉強を始めたのでは遅い、と言われているけれど。下線を引きすぎた教科書の下には、罫線しか引かれていないノートがあって。
「寒いなあ……」
外よりも白いノートが、弱いテレビの光で少しだけ色が変わる。教科書はちょうどアメリカができた頃。テレビは合間のニュースがちょうど終わる頃だ。
体が温まったら進めるよ、と宣言して、ぼんやりテレビを眺める。
チープな音楽と一緒にMCの芸人がご挨拶。アイドルのバラエティー番組らしい、世界史より面白くない番組、よりは面白いだろう。
前説が終わって、出てるアイドルを、一気に、バーッと紹介したから、名前を咀嚼するまで少し時間がかかった。日本史専攻じゃないのだ、長い漢字の名前は頭に入らないようになっている。
「なんか聞いたことあるね、喜多見?」
高校1年の早い頃に転校した子が、この子だった気がする。このまあまあの、まあまあの高校から早い内に。芸能コースがある高校に転校したんだっけね。
中学校の同級生が少なかったから、なんとか輪に入ろうとして苗字はたくさん覚えたけど、この子は下の名前を覚える前に私の手からこぼれていった。
『じゃあ次、柚ちゃんやってみようか』
『了解、アタシにできるカナ……?』
方程式やらプランテーションに追いやられた記憶を手繰っている内に、その、喜多見ちゃんこと柚ちゃんの手番らしい。
昼休み後半の暇つぶしみたいなゲームだ。大きな机の上で、サイズの違うかまぼこを指で弾く、カーリングと同じルール。
既に真ん中の10点ゾーンにはバカみたいに大きいかまぼこが鎮座していて、思いっきりデコピンしたって動かなそう。黒のロングの女の人がサムズアップしてる。どうやったんだろう。
喜多見ちゃんはうーんと頭を捻って、その辺に置いてあったかまぼこ板をおもむろに手に取った、これをかまぼこを倒すと言わんばかりに、カメラに向かって満点の笑顔を向ける。一瞬の間があって、MCの慌てる声、スタジオとアイドルの笑い声、それらでできたステージで、カメラを独占してしたり顔。
読書灯のシャープな光をかき消して、テレビいっぱいの笑顔から放たれる肌色の、弾力のある光。
その時、なんだか心がいっぱいになってしまって、寒いこと、世界史のこと、転校のこと、かまぼこのこと、そんなものは心のコップから溢れてしまって、幼稚園で初めて機関車トーマスを見た時みたいにテレビに釘付けになった。
番組はまだ続いていて、また柚ちゃんが出ないかとソワソワしながら見守っていたけれど。角膜と水晶体の間にあの時のしたり顔がフィルターとして差し込まれているせいで、後のことは全部分からなくなってしまった。
テレビがもう関係のない、通販番組になっても、フライパンからツルリと汚れが落ちても、スチーマーが染み抜きをしても。

余韻のまま2階に行って、毛糸の靴下を脱いで、ベッドに横たわる。上に持ってきた書きかけのノートを開いて、嬉しくなる。私の世界史には喜多見柚の名が残されているのだ。

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500回チャレンジして500回3日坊主になったので今度はちゃんとやります。